いのちのリズム
今月のことば 2025年1月
去年今年(こぞことし)深層の井戸掘りすすむ
余白から言霊(ことだま)ひびく筆はじめ (ふゆめ)
今年の年末年始は、うまれてはじめて、ひとりで迎えました。寂しいかと不安でしたが、そうではありませんでした。
長年にわたって、客を迎える「おもてなし役」をしてきました。そこから開放された閑かな時空間がやってきたのです。ネットもテレビも見ないで、天空を眺め、古典を読み、ひたすら研究に没頭しました。
世間から隔絶されると、日の出とともに朝がやってきて、日の入りとともに夜がやってきました。新月からはじまって、月が少しづつ満ちてきました。自然のいのちのリズムと一体化したような不思議な時間が流れました。
まるで水晶の洞窟に入ったように、透明なしずくがこんこんとわいてきて、心身をみたしました。これが、私の深層の井戸からわく「若水」なのだと感じました。
生きものだけではなく、太陽も月も地球も、森羅万象、大小にかかわらず、あらゆる存在にいのちのリズムがあります。
数億年かかって幾重もかさなって流れてきたいのち循環(サイクル)の一端、巡りめぐってわきでてきた「若水」の一滴、そのしずくのしたたる音が身体中にひびきわたるような気がしました。
世阿弥の書は、何度読み返しても、古井戸のように新鮮なよろこびがわいてきます。そして出会った次のことば、「能」を「研究」に変えて、今年の座銘の銘にしました。
命には終わりあり、
能には果てあるべからず
(世阿弥 「花鏡」)
(写真 京都東山の初日の出)
今年の実り
今月のことば 2024年12月
沈々と蜜柑の夕陽沈む海
短日や立ち坐りする石仏
(ふゆめ)
今年もあとすこし、これで龍年ともさようならです。もう一巡して、また出会えるかどうか、わかりません。名残りの日々を大切にしたいと感じるこのごろです。
今年もいろいろなことがありました。実ったものも、そうでないものもありますが、精魂こめたものは、すべてが愛おしいです。
今年は親友が眠っている小豆島を訪ねました。中学のときから青春時代を共にした彼女は、好きな人とむすばれ、「これから赤ちゃんが生まれてくる」という幸せな期待のさなか、25歳という若さで御産の最中に亡くなりました。
小豆島はオリーブの産地です。未熟な青い実も熟した紫の実も混在して成っているオリーブ、小さいけれど油をいっぱい貯えたオリーブの実、亡き友をしのびながら眺めました。
今年の成果は『ビジュアル・ナラティヴー人生のイメージ地図(著作集第9巻)』(新曜社)が出版されたことでしょうか。35年以上にわたってとり組んできたビジュアル・ナラティヴの多文化研究三部作の最後の本ですが、ようやくまとめることができて、肩の荷がひとつ降りました。
それと両行して、2つの俳句評論が『俳句界』(文學の森社)に掲載されました。さらに、3つめの評論も新年号から連載されます。これから本格的に「詩的心理学」へと出発しようとする記念の年にもなりました。
縁あって出会い、お世話になった多くの方々、すべての方々への感謝の気持ちがいっぱいあふれてくる年末です。
(写真 小豆島のオリーブの実)
別子銅山
今月のことば 2024年11月
鎮魂の時を熟して花梨の実
勾玉にふれる指さき冬の月
(ふゆめ)
四国の別子銅山に行く機会がありました。私は、大地の生成やうねりを刻みこんだ地層や岩石や鉱物が大好き。地球の長い歴史のなかで、地殻変動や噴火や浸食などさまざまな条件で、偶然のむすびつきで生まれた、唯一無二の岩石の色合いや紋様を眺めていると、時を忘れます。そして、人間の歴史を相対化できます。
美しい宝石の結晶も良いけれど、私の好みは黄銅鉱や黄鉄鉱や自然銅や自然金など渋い味わいの岩石そのもの。それらが産出された鉱山は、あこがれの場所です。以前に、生野銀山、岩見金山へ行ったので、次は別子銅山と考えていました。
車でもふもとから40分、山から山をぬけた標高700mの山深い場所に、山の崖にへばりつくように鉱山跡と住居跡がありました。今では「東洋のマチュピチュ」と言うそうです。
鉱山の歴史は涙なくして語れないもので、そこで働いた多くの人々の血のにじむような労働によって支えられてきました。男性たちが、暗い穴に入って堅い岩盤を堀り、岩石を割ります。乳飲み子を負ぶった女性たちが、細かく砕きます。そして女性たちが隊列を組んで30kgの荷物を担いでふもとまで降ります。
近代化、機械化の恩恵をたっぷり受けて都会で便利な生活をしていると、その弊害のほうが注目されがちです。そして「手仕事」をしていた「昔の暮らし」は素晴らしかったと想われたりします。しかし、機械が多くの過酷で辛い労働から人を開放してくれたことも事実です。鉱山跡は、近代化とは何だったのかというプロセスを実感をもって感じられる場所です。
つい数百年ほど前、祖父母が生きていたころの生活の実感さえ、もう今では忘れてしまっています。テレビも冷蔵庫もコンピュータも携帯もなかった時代のことを私は覚えていますが、今の子ども達には想像もつかないでしょう。そのうちAIのない生活なんて想像できないという時代がやってきそうです。
(写真 別子鉱山の紅葉)
和洋折衷と和洋併用
今月のことば 2024年10月
崖の果て五島の蒼海秋の蝶
海うつす逆さ教会鰯雲
(ふゆめ)
五島列島、以前から行きたかったのですが、ようやく旅することができました。島から島へ、山や崖の入り組んだ海辺に建つ、隠れキリシタンの小さい教会をいくつも訪れました。正式には明治以降も秘している「隠れキリシタン」と区別して「潜伏キリシタン」というそうです。英語にすれば、同じHiddon Christianなのですが、巧みな併用です。
教会は、木づくり、石づくり、煉瓦づくりと多様で、大きさも内装のデザインも装飾もいろいろで、一つとして同じものはなく、和洋折衷で興味深かったです。
本物の教会を見られなかった時代に、寺社専門の大工さんが、ありあわせの現地の材料と持てる技術を最大限に使って、設計図を頼りに洋風に建てた教会は、さまざまな工夫がつまっていました。「薔薇窓」と呼ばれていたステンド・グラスの花は、どう見ても現地特産の「椿」に見えました。しかし、薔薇よりもはるかに美しく、似合っていました。まさに、レヴィストロースのいうブリコラージュの結晶でした。
和洋折衷にもまして興味深かったのは、和洋併用というべき習慣でした。教会に入る時に、靴を脱ぐことを求められたのです。これは、西洋の教会ではありえないことです。私たちは、聖なる空間に入るときに、「土足」のままで入ることに抵抗があるのでしょう。奈良の三輪山では、山がご神体なので、土足でなく裸足になって山に入る人もいるそうです。日本人は、床にソファーにベッドと完全に洋風の暮らしをしていても、外から内に入るときは靴を脱ぐ習慣をつづけています。
古くから和漢併用で、漢字とひらがな、音読みと訓読み、神と仏など併用してきました。今も、和食と洋食、和服と洋服、和室と洋室など、さまざまな併用をしています。この両者を並べて使うやり方は、なかなか巧みな文化様式なのかもしれません。
写真 上五島の頭ケ島天守堂
月幻想
今月のことば 2024年9月
ひらきたる無限の穴に月みちて
生木さく有明の月うすくれなひ
(ふゆめ)
今年の夏は記録的猛暑で、9月になっても35度を超える日がつづきます。「新涼」が感じられないうちに早くも「仲秋の名月」がやってきました。古今東西「月」はさまざまに詠われてきました。
さ夜中と夜はふけぬらし雁が音の聞ゆる空に月わたる見ゆ(柿本人麻呂 万葉集 巻9 1701)
身にしみてあはれ知らする風よりも月にぞ秋の色はありける(西行 山家集上 342)
秋の「月」を見ながら「あわれ」と感じ、しみじみと感傷に浸るのは一般的でしょう。しかし、紫式部は、「月」がどう見えるかは、見る人が月に「投影」するだけでしょう?と醒めたことばを放っています。さすが紫式部、とても現代的です。
月は有明にて光をさまれるものから、影さやかに見えて、なかなかをかしきあけぼのなり。何心なき空のけしきも、ただ見る人から、艶(えん)にもすごくも見ゆるなりけり。
(月は明け方になり光が弱くなってきたが、月影ははっきり見えて、かえって情緒深い夜明けである。何心ない空のけしきも、ただ見る人によって、艶っぽくも、殺風景にも見えることよ。)
(源氏物語「帚木」源氏が空蝉に失恋し二人が交わした歌のあとの描写)
日本の物語の祖といわれる「かぐや姫」は、月の化身のような女性像です。彼女は、貢ぎものを持って言い寄るあまたの男性たちをすべて振って、天に昇って行きます。白雪姫、シンデレラ、眠り姫など西欧の物語は、男性が女性を助け、男女の結婚を理想として終わることが多いです。しかし、日本の物語では、「かぐや姫」「鶴の恩返し」「羽衣」など男性を地上に置いて天空に去って行く毅然とした女性像が描かれています。日本の物語は、ある意味で現代的ですね。
何はともあれ、「月」を見ることは私も大好き、今年は月カレンダーとにらめっこしながら、「月」の移り変わりと波長を体感しています。現在、私は、「詩的現実(ポエティック・リアリティ)」や「メタファー」をもとにした「詩的心理学」という新しい領域を切り拓こうと考えています。最近書いた評論「俳句におけるメタファーと詩的現実―芭蕉の俳句をもとに」(『俳句界』2024、9月号、10月号)からはじまり、花鳥風月における「鳥」についての考察もしました(「芭蕉の夢、蝶、鳥」『俳句界』2024,5月号)。次は、いよいよ「月」について書きたいと考えています。
今年の仲秋の名月は、お天気に恵まれて、鮮やかな光をはなつクリアーな美しい月が比叡山から昇りました。翌日は「満月」、時おり雲がかかりましたが、雲に虹色の光の輪ができて、雲とともに光の色合いもうつり変わって幻想的でした。
今年はあまりに暑いので、寝室よりも窓が大きいリビングで寝ることが多くなりました。電気を消すと、寝ころびながら月のうつろいを眺められます。窓からさしこむ月の光をあびながら、月と交感し、さまざまな幻想に浸っています。
(写真 虹色に光る満月)
蒼い粒の水地球
今月のことば 2024年8月
天河の蒼きしたたりアクア光
ボイジャーの見る青白き地球秋
(ふゆめ)
先日、「ペールブルードット」というドキュメント映画を見ました。
https://pale-blue.net/information
「蒼白き粒」とは、NASAの宇宙船ボイジャーが60億キロ先から、太陽系を出る最後にとらえた「淡く小さな青白い地球」の映像のことです。宇宙の果ての消え入りそうに小さな淡い地球の粒は、本当に愛しく感じられました。
蒼いドットは、天から降る水のしたたりでもあります。映画には、吉野の大峯山から水をいただいて行われる、奈良天川村の天河神社の四季の儀式が生き生きと映っていました。
天河神社が祀る辨財天は、川の流れの妙なる様を神格化した古代インドのサラスヴァティー神、水せせらぎのように妙なる音楽や芸能の神です。
日本の古代より行われてきた水神の信仰に興味をもつ私、天河神社も少し前に訪ねたばかりです。天石を眺め、山々に響きわたる大きな五十鈴を鳴らしてきました。それで、よけいに感慨深いものがありました。
水のしたたり、澄んだ水の青、白い水のしぶき、ゆらゆら流れる水、くるくる泡立つ水、光がさしこむ水、月を映す水、夕日が輝く水、高野川の近くに住んでいるので、毎日のように、水の変化を眺めて暮らしています。地球は水の惑星、水によって生かされているのだと、改めて感じました。
(写真 奈良 天河神社近くの川)
雨乞いの馬と水神
今月のことば 2024年7月
雨乞の声裏返る馬の淵
水の音脈の音する茅の輪かな
(ふゆめ)
今年は龍年で、神話の旅をテーマにしていることもあり、水神や龍神に関わる山奥の秘境の古社をいくつか訪ねました。
墨坂神社(龍王宮)、室生龍穴神社、吉祥龍穴、龍鎮神社など、多くの神社では、断崖を蛇や龍のようにうねって流れる水の流れ、水しぶきをあげて幾重も流れ落ちる滝の水、水源となる清らかな湧き水、龍の穴といわれる洞窟のなかの緑青色をした深い淵など、自然の「水」そのものが「神」でした。
そのなかでも奈良の吉野山の奥地、丹生川上神社の下社を訪ねたときは衝撃でした。この神社では今でも白馬と黒馬が飼われています。古い神事で、雨乞いで晴を祈るときは白馬、雨を祈るときは黒馬が犠牲にされ、それが今の「絵馬」になったのだそうです。
「河童駒引」は、河童が馬を水中に引き込む話です。柳田国男は、河童は水神の零落した姿だといいました。石田英一郎は『河童駒引考』でユーラシア大陸に広く伝わる水神信仰の中に位置づけました。河童はなぜ馬を水中に引き込むのでしょうか。それは「馬」が貴重で神聖な生きものであり、水神への犠牲にもなるからなのです。
なぜ「てるてるぼうず」の童謡の3番が「そなたの首をちょんぎるぞ」という怖い歌詞なのかということもわかってきました。
水神の話を調べるとおもしろくて、際限なくなってしまいそうです。
(写真 丹生川上神社下社の絵馬)
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尾瀬の水芭蕉
今月のことば 2024年6月
夏の山まっさかさまに尾瀬の沼
月光を照り返したる水芭蕉
「夏が来ると思い出す。水芭蕉の花が夢見て咲いている水のほとり、はるかな尾瀬遠い空」この歌がはやったのは、少女のころだったでしょうか。
この歌であこがれていた尾瀬の風景のイメージ。清らかな水辺には白い水芭蕉の花が群生し、朝霧のなかに浮かび上がり、夢見るように首をかしげています。霧がはれてくると、遠くの山がぼんやり輪郭をあらわし、ここかしこに清涼な水の音が聞こえてきます。
でも、長いあいだ、尾瀬は本当にはるか遠いところでした。大学に入学した春に、あこがれの水芭蕉を見に開田高原へ行きましたが、まだ咲いていませんでした。
ようやく今年、福島県から入って尾瀬沼から尾瀬が原を縦断することができました。尾瀬沼の山小屋に泊まって早朝、イメージ通りの風景が広がっていて感動しました。期待が大きいとがっかりすることのほうが多いので、このような体験は本当に珍しいことです。
自然保護の発祥の地といわれる尾瀬で、多くの方々が長いあいだ取り組んでこられたおかげでしょう。昨秋は、新潟県から入って尾瀬の裏側の奥只見湖へ行きましたが、かつて尾瀬沼もダム湖に沈む計画があったようです。
今は、野性の鹿の食害が深刻ということでした。木道を歩いていて、森から出てきた小熊にも会いました。無事でよかったですが。
一年の半分は雪に閉ざされ、日照も少なく有機物が分解しないので、土ができず養分も少ない、過酷な環境のなかで生き抜いて、つかのま花を開かせる野性のいのちたち、いつまでも生き続けてと祈るような気持ちになりました。
(尾瀬の水芭蕉)
芭蕉の夢と蝶と鳥
今月のことば 2024年5月
黒猫の行方は知らぬ青嵐
夏の海殉教の蝶島々へ(ふゆめ)
「芭蕉の夢と蝶と鳥」と題した私の評論が第25回山本健吉評論賞(奨励賞)をいただき、「俳句界」5月号に掲載されました。
芭蕉の「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」という最期の句は、哀しく寂しい句と考えられてきました。しかし、「胡蝶の夢(荘子)」や「飛翔の夢(バシュラール)」や「おきなぐさ(賢治)」とかさねてみると、「夢の飛行」の軽やかさ、最期まで「逍遥遊」(こころまかせのあそび)の精神を失わなかった夢のたましいの「軽み」の飛行としても読むことができるでしょう。
芭蕉は鳥の句も多く作り、ときには異界の不思議な生きものとして声を聞き、ときには自身の分身のように慈しみながら鳥に話かけてきました。
自身の老いを鳥に呼びかけた最晩年の「この秋は何で年よる鳥に雲」も、今までは老いを嘆く寂しい句として鑑賞されてきました。
しかし、「鳥」に玉づさ(手紙、西行)をたくして消えていく鳥の姿を詠んだ西行の歌やひばりに見送られて旅立つ賢治のおきなぐさの詩のイメージをかさねて鑑賞してみると、また違ってきます。
蝶も鳥も、眼前の生物であるとともに、夢に似た生きものであり、想像力とメタファーによって天空を飛翔するイメージとしてとらえることができます。
現実とは何でしょうか。多くの先人たちが長年にわたって想像力とイメージによって生成してきた「ものの見方」、そしてそれらと重ねあわせて、今ここで新たに生成される「詩的現実(ポェティック・リアリティ)」の世界、それらもまた、私たちが生きている現実の一部ではないでしょうか。
(写真 芭蕉の墓 義仲寺)
山の辺の道と義仲寺
今月のことば 2024年4月
桜咲くこの世のすべてゆるされて
春泥の足跡あまた飛び立ちぬ
(ふゆめ)
今年は桜の開花が遅かったのですが、開花とともに一気に春本番になりました。
友人と、奈良の「山の辺の道」へ蝶遊行に出かけました。桜やたんぽぽが咲く野原や果樹園や畑や古墳や民家のなかを行く、山裾の心地よい道でした。看板や自販機やコンビニなど何もなく(ひと休みする喫茶店や昼食をとる店もなく)、ただ何でもない、どこにもありそうな風景が広がっているだけですが、それは今や貴重な、どこにもない原風景なのでした。駐車場にもなる空き地は、コンクリートも砂利も敷かれず、草の原っぱになっていました。つくしや野蒜がいっぱいあって、子どものようにおおはしゃぎで無心に採りました。たんぽぽも、なぜか外来種ではなく日本たんぽぽで、生まれたてのもんしろちょうがひらひら舞っていました。
ただ、歩いているだけで心地よくて、不思議でした。私たちは、畑の畦や草の原っぱや池のような何でもない(ようにみえる)もの、そういうものを失ってきたのですね。何かをプラスするのではなく、広告の看板やのぼりや自販機や店など、商業ベースのものをすべて除去するというマイナスの発想、不便で観光地としては多くの人を呼び込めないし、地域に利益をもたらさないかもしれないけれど、由緒ある最古の道をそのまま手入れしながら残すという発想(枯葉の掃除や草原を荒れ野にしないように維持が大変だけど、たぶん地域の住民がみんなで守っている)、すばらしかったです。
それから一人で、膳所にある「義仲寺」と、紫式部が源氏物語を書きはじめたという「石山寺」も訪ねました。義仲寺には、木曽義仲の墓の隣に、芭蕉の遺言でつくられた芭蕉のつつましい墓碑がありました。昔は、寺の前は琵琶湖だったそうですが、今ではその面影はまったくなくなっていました。芭蕉を慕っていた俳人たちの墓所も、膳所駅の近くにあるのですが、車が高速で行きすぎる国道1号線に面し、大きなラーメン店の駐車場の隣、喧噪に包まれたコンクリートの丘の一角、何の風情もない最小限の場所に、いくつかの墓だけが剥き出しでありました。こちらは、とても残念な風景でした。「墓」は、それだけではなく、「風景」と一体としてあるはずですが、風景は守ろうとしなければ、守れないのですね。芭蕉が深く愛して、わざわざ墓をつくりたいと想った「近江」の風景だったのですが・・・。
行春(ゆくはる)を近江の人と惜しみける (芭蕉)
(写真 山の辺の道 友人撮影)
慶良間の海と再会
今月のことば 2024年3月
蝶ひらり尻で光を感知する
春の海鯨の頭が立っている
(ふゆめ)
「一期一会」ということばが好きです。同じものに出会っても、季節がちがう、空気がちがう、色合いがちがう、同じものが同じではないからこそ、一回限りの新鮮な感動をもたします。
しかし、最近は、歳をとってきたからか、このことばがさらに切実な意味をもつようになりました。「次の再会はあるかしら?」とふと想ってしまうのです。
特に遠くへ旅に出たときには、よけいにその感が深まります。「また,来たいね」と別れても、どこかで「もう、来れないかもしれない」と感じている自分がいます。
沖縄の慶良間諸島も、そんな遙かな場所でした。それだけに、昨年につづいて、再訪できたのは、うれしかったです。
あいにく天候には恵まれず、初日は船が欠航、予定していた座間味島に着けませんでした。ケラマブルーといわれる輝くような美しい青、トルコ石色から空色紺色そしてエメラルドグリーンのグラディエーションの海も今一歩でした。
でも、少々の支障は何のその。ここの島々は鯨のゆりかご、北の海からやってきた鯨の母親は何も食べずに赤ちゃんを育て、4月には一緒に北へ帰ります。船から母子の鯨が並んで泳ぐ姿を見て、岬の展望台から潮吹く鯨の姿を眺め、珊瑚や貝殻を拾って、慶良間の海を満喫しました。
あたたかく迎えてくれた宿の人々に「また、来るね」と別れてきました。
(写真 慶良間の海)
蝶遊行
今月のことば 2024年2月
石碗に光あふれて寒明ける
ひらひらと未知の道へと蝶遊行
(ふゆめ)
遠くに旅に出るのもよいけれど、今年は、近くの路地なども、はじめて来た旅行者のように新鮮な眼で、ふらふらと自由きままに歩いてみたいと想います。何か気になるもの、今まで見たことがなかった景色に出会うかもしれません。
そんな試みに何か名前をつけよう。「散歩」は日常的すぎ、「吟行」「ウオーキング」「修行」など、何か目的があって、そのために歩くのもちがいます。そこで「蝶遊行」と名づけました。荘子の「胡蝶の夢」のように、夢か現かわからないけれど、我が身を忘れるような素敵な出会いがあるかもしれません。
そんな気持で、樂雅臣さんと樂直入さんの「石をやく土をやく」展を見に行きました。そして、「石」でつくられた「器」に魅了されました。
それで、つづいて、蜜を求めるように、雅臣さんの「光の器」展を見に祇園の鍵善美術館へ行きました。
私は、美術なら「個展」、本なら「個人全集」が好き。好きな作家のものを追いかけたくなります。
樂雅臣さんの作品、とくに最新のアラバスターの白い器は、余分なものをすべてそぎ落とした洗練されたシンプルな丸み、繊細な素材のままの肌あい、光をかすかに透過して揺れるような幽玄の味わい、すばらしかったです。
祇園の雑多な人通りから少し入った静かな路地、小さな中庭からわずかに光が入る美術館も、上質な和モダンの凜とした空間で、観客は私ひとり。し~んとした静寂にみちていて、光と器と、とてもゆっくりした至福の時空間をすごすことができました。
それからも、しばらく、樂さんの世界に浸っていて,今もまだ漂っています。
(写真 樂雅臣『光の器』展より)
天に舞う龍
今月のことば 2024年1月
初春や天橋立飛龍観
天土(あまつち)を震撼とさせ龍の飛ぶ(ふゆめ)
2024年のはじまり、おめでたいはずの新年に、元旦から能登半島地震、羽田空港の航空機事故、福岡の火災など、いろいろな出来事があいつぎました。
東日本大震災のとき、平和で平穏な日常が続いていくのが当たり前と信じていた考えが揺さぶられ、当たり前の生活は有り難いものなのだと思い知ったはずでした。でも、早くもその感覚を忘れていたことに気づかされました。
被災された方々に想いをはせると共に、今、自分にできることをひとつずつしっかりやっていこうと気持ちを引き締めた年の初めでした。
昨年は、与論島、慶良間諸島、淡路島、奄美大島、壱岐、対馬など「離島の旅」をしました。今年は「神話の旅」をしたいと想っています。特に太陽信仰の前にあったと考えられる月信仰に関心をもっています。
月を祭る籠神社のある天橋立、日本海をわたる細い道を天にかかる橋に見立て、天に舞いあがる龍をイメージした古人の想像力、いいですね。十二支のなかで、唯一イマジネーションの生きものである龍、今年はどんな舞いを見せてくれるのか、祈りながら見守っています。
(写真 天橋立 飛龍観)
雲海の向こう
今月のことば 2023年12月
ふくふくと太古を胎む牡蛎を剥く
キャンパスの端の古墳や冬銀河
(ふゆめ)
今年は海も山も精力的に出かけ、いろいろな景色を楽しみました。仕事でもプライベートでもさまざまな出会いに恵まれ、
ゆたかな良い年でした。今年もあと少しになり、ベストショットを選ぼうとして迷うほどでした。
結局、雲海の向こうに見える青いグラディエーションの山々を選びました。久しぶりに北アルプスや白山や妙高山などを望みました。高い山に登ると、下界はすべて消え、雲海の上に頂を出す山々だけが見えます。ふもとの野原をのんびり散策するのも楽しいのですが、やはり雲の上の景色は特別ですね。まさに天界の風景でしょうか。
日常に埋没しないで、高みをめざして登りつづけること、その崇高さを教えてくれます。
「冬」は、「増ゆ」からきていることばとか。春のいのちの輝きは、冬枯れに見える風景のなかで貯えられます。私が俳号にしている「ふゆめ」(冬芽)も冬の厳しさに耐えて、春の芽生えを準備しています。「ふゆめ」は「浮夢」でもあります。楽しい夢を見て空飛ぶ想像力でイマジナル・ワールドをひらいてゆきたいものです。
(写真 雲海の上の山々、妙高赤倉山より)
詩的現実と身体
今月のことば 2023年11月
ゆふらりと身のほどけゆく水紅葉
紅葉の山々崩し水脈(みお)を引く
(ふゆめ)
山の紅葉は、里とは異次元の眼のさめる鮮やかさ。しかし、わずか1週間で一変する移ろいの生もの。今年こそは旬の紅葉を見たいと、妙高から長野へ、雲海を越えて蒼く重なる北アルプス、全山紅葉の奥只見湖、そして雪を抱いた白山の三段紅葉を眺めることができました。
帰った2日後には、日本質的心理学会20回大会が開催され、学会賞の特別賞をいただくことができました。第1回大会は京都大学で開催したのですが、学会草創期のてんやわんやの思い出話に花が咲きました。
また、「詩的リアリティとビジュアル・ナラティヴ」と題した挑戦的なシンポを開催し、新しい「詩的心理学」への第一歩を踏み出すことができました。
その少し前には、熱田神宮で四人の孫たちの最後になる孫娘の七五三を行い、家族そろってお祝いすることができました。
あれやこれやで、めでたい行事が多くつづきました。しかし、良いことばかりはつづかないものです。その後「帯状疱疹」になってしまい、夜も眠れぬほどの痛みに悩まされています。「風邪」も重なって、弱り目に祟り目といった状態です。「欲ばりすぎてはダメヨ!」と身体が緊急信号を発しているのでしょう。
今となっては幻のような紅葉の詩的な景色、無理を承知で強行したことが良かったかどうか、身体のリアルと折り合いをつけるのはなかなか難しいのかも。
(写真 全山彩なす紅葉を映す奥只見湖)
月と蛙のコスモロジー
今月のことば 2023年10月
木も石も時を胎むや星月夜
蒼き月いのちのかけら化石飛ぶ
(ふゆめ)
今年の秋は、お天気に恵まれて、月がひときわ冴えました。すすきの穂が風に揺れる夜、いろいろなお月見を楽しみました。
万葉集や古今和歌集など、月は歌に多く詠まれ、物語にも謡曲にも頻繁に出てきます。桂離宮など、月見をするために庭がつくられました。芭蕉も、どこで月見をするかと常に気にかけており、わざわざ信州の姥捨の月を見に行って、更級紀行を書いています。
月には「兎」がいるという伝説がありますが、実は兎は新参者で、古くは「蛙」だったのだそうです。日本最古の月兎図は飛鳥時代の『天寿国繍帳』(中宮寺)ですが、そこにも兎とともに蛙もいます。
そして、京都の高山寺にある国宝『鳥獣人物戯画』甲巻、あの有名な絵巻物にも、蛙と兎が出てきます。
京都国立博物館の宮川禎一さんによると、あれは「月世界絵巻」で、中国と印度に伝わった二系統の「月の物語」を平安時代の日本で合体させたのが鳥獣戯画、最古のSF漫画なのだそうです。
「作者は絵巻全体を月だと意識して描き、見せられた平安時代の人たちも『ああ、これは月の世界のお話ですな。月では皆仲良しでよろしいなあ』と言ったはずだ。」
別の文献では、中国には蛙が先祖という伝説をもつ民族もあり、月と蛙の話はなかなか奥深いようです。
私は、学生時代のワンゲルの仲間と、毎年春と秋に鈴鹿山脈の朝明渓谷に出かけています。友人が、畑でとれた生の落花生をゆでてつまみにし、野菜をたっぷり入れた芋煮鍋をつくってくれます。みんなで焚き火を焚いて鍋を囲みます。
渓流の水は清らかで水晶のようにすき透っています。ここでテント泊していると河鹿蛙が、笛の音のような美しい声で一晩中鳴きつづけます。10月半ばすぎ、さすがに恋の季節は終わりかけていましたが、月と蛙のお話を知ったので、特別麗しい音色に聞こえました。
( 鈴鹿山脈朝明渓谷にて、芋煮鍋)
虹のホリゾンブルー
今月のことば 2023年9月
底なしの蒼と透む青秋の海
秋の虹異国の見える丘の上
(ふゆめ)
今年のマイ・テーマは離島の旅、対馬と壱岐を巡りました。対馬ははじめてです。
対馬は、地殻変動で日本列島が大陸から離れて日本海ができたときに、最後に残った陸地の扇の要のような所だったということです。
ここを旅しながら、地形も地層も、そして動物も植物も、歴史も文化も、日本と韓国の要の位置にあるのだと実感しました。
対馬は想像以上に南北に長く、山も険しく、道路が真ん中を通っているので、ほとんど海は見えず、バスはずっと山中を走りました。
それだけに、最北端の異国の見える丘に着いたときには、感動もひとしおでした。
晴れた日には釜山の街並がよく見えるとのことでしたが、あいにく少しぼんやりしていました。そのかわりに水平線に虹がかかっていて幻想的でした。
ちょうど、ホリゾンブルー(水平線の青)という美しいことばに出会ったばかりでしたが、水平線の虹を見るのは、はじめてでした。
そして少し前から、友人と青の濃淡のグラディエーションにたまらなく惹かれてしまう感性のよろこびやマーク・ロスコの絵についてメールを交わしていたところでした。
ロスコの絵のように水平線で区切られた空と海のいろ。そしてロスコの絵よりもはるかにやさしい色あいのブルーとあわく透き通った虹のいろ。濃淡のだんだんの青がひときわ感慨深く、天からの贈り物のように感じられました。
(写真 対馬の異国の見える丘からみた虹のホリゾンブルー)
新鮮な奇蹟
今月のことば 2023年8月
年かさね自由に飛びたつ夏野かな
初秋やぽこぽこ息する野天の湯
(ふゆめ)
秋田、青森、岩手をまたがって、東北の秘湯を巡る旅に出かけました。八幡平の山麓や渓流、ぽこぽこ沸き出るところに湯船をつくった、ひなびた自噴泉に入りました。白濁の湯や、乳色の湯、泥の湯、硫黄の湯、エメラルドの湯、岩の湯、酸性の湯など、さまざまな野趣あふれる自然の恵みを楽しみました。
なかでも、海抜1400メートルの高所にある藤七温泉や、最古の天空の湯といわれるふけの湯は、岩手山と八幡平の山々を見渡す雄大な景色の中にありました。赤茶けた荒い山肌に硫黄の匂いがする白い湯煙がもくもくと立ち昇り、活きた火山の胎内に浸っている感じがしました。
小岩井農場にも寄って、新鮮な濃い牛乳を飲みました。農場のいちばん奥に宮澤賢治の詩碑がひっそり立っていました。対面にある古い紅い牛舎が、黒い御影石に映り、世界が反転するような不思議な映像が浮かびあがりました。
ながくながく、賢治が見た風景に浸りました。遠くにイギリスの田舎のような野の小道と小川が見えて、さらさらと水が流れていました。黒い蜻蛉がいくつもやってきて等間隔に並んで止まりました。
本当に、ここにこうしているということが、どんなに新鮮な奇蹟だろう。
すみやかなすみやかな万法流転のなかに
小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が
いかにも確かに継起するといふことが
どんなに新鮮な奇蹟だらう。
(宮澤賢治)
日々に生まれる
日々の出会い
すべてが新しい
たとえ同じような
平凡な日常でも
すべてが新鮮な奇蹟
さわさわとゆれる木々
木々からこぼれる滴り
葉の上にとどまる水玉
はじける光のうつろい
雲の切れ目の青空
すべてが新鮮な奇蹟
(ふゆめ)
(写真 小岩井農場の賢治の詩碑)
虫と母なる場所(トポス)
今月のことば 2023年7月
球面の宙(そら)の歪みや金魚玉
椅子降りてしやぼんの玉や野の果てへ (ふゆめ)
先日出版された私の著作集6巻『私をつつむ母なるもの-多文化の「人と人の関係」イメージ』(新曜社)を巡って、研究会が開かれました。いろいろな論点が出されて、議論が白熱し、多くの方々との対話を楽しみました。
この本のなかで「心理的場所(トポス)のなかで生まれる私(自己)」という考えを出しています。
「母なるもの」と名づけたのは、自分をつつむものが、人間の「母」だけではなく、「心理的場所」だからです。そして「子」はときに、母とは異質の存在「虫」です。「腹の虫」は勝手にはいまわり、母にとっては「害虫」、母なる葉を食い破って成長します。
この本の表紙カヴァーには、自然のなかの葉のなかにつつまれた「入れ子」、揚羽蝶の幼虫の写真が使われています。
私は揚羽蝶の幼虫を飼って、虫から蝶になる孵化のプロセスをわくわく見守った時期もありました。しかし、虫の食欲はめちゃ旺盛で、とうとう大きな山椒の木を枯らしてしまいました。それで新しい幼木を購入しました。今年は木を守るために、涙を呑んで退治するほかありません。
せめて、他の葉を食べてくれないかと思い、ゴーヤの鉢に移しました。しかし、幼虫は他の葉には見向きもせず、必死にあちこち動きまわりつづけ、翌日にいのち果てました。
蝶は、卵を産み捨て子育てしませんが、子が生きる特異な「場所」を用意していました。それは多様な自然のなかで、我が子だけに合った、我が子を育むための「特異」なゆりかごなのかもしれません。
自然は限りなく豊かで、いくらでも生きる場所や食べものの替わりがありそうに見えます。しかし、そうともいえないのでしょう。
カフカの小説のように、人間から「変身」した「虫」は、ぶざまな生きものになったのでしょうか?それとも人間界から逃走するのに成功したのでしょうか?
「場所」をはなれて「変身」することは、あまり易しいことではなさそうです。
(写真 「母なる場所」を出てはいまわる揚羽蝶の幼虫 追悼をこめて)
水辺の風景
今月のことば 2023年6月
半裂きの閑かに生きる川のへり
暗闇に河鹿の声や皮膚呼吸
(ふゆめ)
近くの高野川の水辺で、若鹿が2匹草を食んでいました。山から市街地まで迷いこんできたようです。草は青々と繁って食べ放題、水も清らか、寒くも暑くもなく、どこで寝ても大丈夫。でも、無事に山へ帰れるか心配です。
水の流れは、魚や貝などたくさんの生きものを育みます。水辺には、鷺や鴨や燕や蝶なども、天空からやってきます。水と土の境界では、虫や蛙や蛇がうごめき、草もひときわ高く繁ります。水辺は、さまさまな生きものが行き交う交差路のようです。
川縁の路を遡って行くと、どこかで時間が巻き戻され、野性の生きものの息づきと出会います。まだ人間が生まれていなかったころの太古の記憶が蘇ってくるような気がします。
最近、若い世代に「蛙化」ということばがはやっているとか。「恋愛相手のささいな言動で気持ちが冷める」ことだそう。「蛙の鳴き声がうるさいので、田に農薬をまいてほしい」とクレームする人もいるとか。グリム童話の「かえるの王様」もそうですが、蛙はグロテスクで醜いとイメージされているようです。
ちょっと待ってください。「おたまじゃくし」の時代は魚のように水の中を泳ぎ、それから手足を出して陸を歩き、水陸両用の生活をする蛙は、二つの世界を行き来できる凄い生きもの、私たち人間が忘れてしまった能力さえもっているのではないでしょうか。なんだか地球の未来さえ予感させてくれるような気がします。
古池や蛙飛こむ水の音(芭蕉)
闇のなかに。
ガラスの高い塔がたち。
螺旋ガラスの塔がたち。
その気もとほくなる尖塔に。
蛙がひとり。
片脚でたち。
宇宙のむかうを眺めてゐる。
(草野心平)
(写真 京都市高野川の若鹿)
母なる奄美の紬
今月のことば 2023年5月
母の日や地味を滋味へと大島紬(つむぎ)
奄美の海(み)月桃の花月を待つ
(ふゆめ)
著作集の第6巻『私をつつむ母なるもの-多文化の「人と人の関係」イメージ』(新曜社)が出版されました。初版が出てから35年、長年かかって集めた多文化のデータをようやくまとめることができました。
「母なるもの」のイメージを育んでくれた亡き母も、きっとよろこんでくれることでしょう。母と子の関係は、不思議なもの。母が生きているうちは、母が子を想う気持ちのほうが圧倒的に強いように思います。しかし、母が亡くなると、一気に逆転、子は生前の親不孝を棚にあげて、たまらなく母が恋しくなるのです。
母は着物が大好きで、大島紬は特に好きでした。いつのまにか目だけは肥えた私も、母におねだりしてとびっきり珍しく高価な白地の大島紬を、母に仕立ててもらいました。しかし、公式の場では訪問着などを着るので、日常の場で着る紬に手を通す機会はなく、タンスに眠ったままになっていて、胸の奥がジーンと痛みます。
母の日のあと、奄美大島に出かけて、泥染め、一本ごとの糸の先染め、複雑な織りの工程など、一反分つくるのに熟練の方でも1年かかるという丹念な紬の工程をつぶさに見ることができました。
奄美大島は、太古に大陸とつづいていた豊かな自然の宝庫。マングローブの森で、はじめてカヌーを漕ぐ体験もできました。まさに、母なる島でした。
(写真 奄美大島 大島紬糸の泥染め)
ケラマ・ブルー
今月のことば 2023年4月
しゃぼん玉オーロラの波閉じる宙(そら)
ゆらゆらと息つぐノイズしゃぼん玉
(ふゆめ)
今年は「未踏の離れ島へ行こう!」とことばにしてみたら、自分で自分に魔法をかけたみたい。つぎつぎと次はどこへ行こうとわくわく。考えてみれば、研究も、未踏の離れ島へジャンプするようなものだしね。でも、研究もこんなふうに、飛び石を二つ飛びするように、進むといいのだけど・・・。
こんどは、沖縄の慶良間諸島へ、無人島も含めて、10島ほどを巡る旅に出かけました。
後半は好天に恵まれて、ケラマ・ブルーといわれる輝くような青碧蒼青緑、エメラルド、サファイア、トルコ石、オパール、翡翠、クリコソーラ、アデュライト、マラカイト、シャッタカイト、ラビズラズリ、クレソプレーズ、ローザ石、エイラットストーン、カバンサイト、ダイオプテーズ、スピネル、ペンダコン石、ホタル石、宝石のかずかずを集めても足りない、輝きゆらめく青碧蒼碧緑いろ。
「このブルーを見るためならば、何を置いても行きたい!」と想える青色のグラディエーションに出会えました。
写真 座間味島の珊瑚礁
春の目覚め
今月のことば 2023年3月
白亜紀のアンモナイトの春覚む
白木蓮白無垢の帯解きはなつ
(ふゆめ)
長く眠っていた春、ようやく目覚めの季節がやってきました。もどかしいほどゆっくりと春の足音が聞こえてくる、この時間が愛おしくていいですね。
少しずつ芽吹き、梅がほころび、白木蓮が開き、そして初花の季節を迎えるころには、一気に、草木が緑になります。
まだ春浅い3月9日、京都の貴船神社に、雨乞いの神事を見に行きました。ここは鴨川の水源地、山々の苔から水がしみ出し、清流が流れています。昔は今よりもはるかに水は貴重だったのでしょう。ご神水と神饌を献上した後、榊の葉でご神水が天地にふりかけられました。そして、古い札などは、火焚きで浄化されます。水と火のコントラストが美しいです。
雨乞いは、夏の日照りに行うものとばかり思い込んでいましたが、干ばつになってから祈るのでは遅すぎるのでしょう。昔は「生き馬」を奉納したのだとか、今はそれが「絵馬」になったのだそうです。
神さまも春にはお目覚めになります。その季節こそ、自然の神に祈りをささげるときなのですね。
(写真 京都の貴船神社 雨乞い祭)
石舞台の蝶
今月のことば 2023年2月
蝶2匹周遊し消ゆ石舞台
春疾風(はやて)響き鎮まる石涅槃
(ふゆめ)
立春は過ぎても、大雪が降ったり、汗ばむほどの陽気になったり、一喜一憂、二月の天候には心身ともに惑わされます。もうすぐ春がくるという期待が大きすぎるからでしょうか。人は気候や天気と共振しながら生きているからでしょうか。
あたたかい日差しが青空いっぱい広がった恵まれた日に、奈良の明日香村の石舞台を訪ねました。大学生のときに訪ねて以来でしょうか、本当に久しぶりです。
がらんと大きな岩の積み重なり、それだけが残されているので、かえって、生々しい歴史から切り離されて、いろいろな想像をかりたてます。
今の私には、荘子の蝶が舞台の上で周遊しているようにも、平和を祈りながら静かに横たわる仏の涅槃の姿のようにも見えました。
(写真 明日香の石舞台)
与論島の青碧
今月のことば 2023年1月
あかあかとそらうみかさね初日の出
海と宙(そら)ただよふ碧き初地球
(ふゆめ)
新たな年を迎えました。今年はいよいよ後期高齢者の仲間入り。自分自身の誕生日プレゼントに与論島へ出かけました。与論島は、沖縄復帰前は日本最南端、私も含めて当時の若者のあこがれの島でした。
今年のマイ・テーマは「未踏の離島へ冒険の旅」にしました。しかし、あいにく10年に1度といわれる寒波の襲来、砂浜は立っていられないほど強烈な風が吹き荒れました。
それでも、島の人たちのあたたかさにふれ、懐中電灯をもって鍾乳洞を探検するなど、ワイルドで得がたい体験をすることができました。
冬の嵐がおさまり、雲間から現れた青碧の海は最高に輝いて見えました。
与論ブルーといわれる珊瑚礁の青碧色、光によって濃く薄くなるだんだんの色合いの変化、ただ海を眺めているだけで仕合わせでした。
波乱ぶくみの出足でしたが、心配した飛行機も飛び、無事に帰れて「終わりよければ、すべて良し」ですね。
(写真 与論島の珊瑚礁)
芭蕉の世界を巡る
今月のことば 2022年12月
飛び立つや琥珀の中の冬の蝶
ゆく年や超えし山川すべて溶け
(ふゆめ)
今年も残りわずかになりました。今年は芭蕉の句をもとに評論を書いたのを機会に足跡を求めて旅をしました。秋には古本市で『校本 芭蕉全集』全10巻を購入しました。まだ積読のままですが、これから読みすすめようと思っています。
先日は嵐山の福田美術館で「野ざらし紀行」芭蕉直筆の絵巻物を見ることができました。想像していたよりも、はるかに雅で繊細で流麗な筆でした。蕪村の太く力強い筆とは対照的でした。芭蕉の時代にはまだ「俳句」は古典とのむすびつきが深かったのではないかと思いました。
そして伊賀へ行って、芭蕉ゆかりの場所を巡りました。「三冊子」を書いた芭蕉の門弟、土芳の草庵「蓑虫庵」で当時の面影をしのびました。
私が好きな「よくみればなずな花さく垣ねかな」の句碑がありました。夕陽をあびた冬紅葉の落葉が庭一面に敷き詰められるように降りそそぎ、静寂な空間でした。
「命二ッの中に活(いき)たる桜哉」という印象的な句は、かつて9歳の少年だった土芳に20年ぶりに再会したときに詠まれたものです。「いのち二つ」という大胆な表現に、西行の「いのちなりけりさやの中山」の「いのち」と桜の「いのち」もひびきあっています。現代の写生重視の句とはちがって、少しシュールでメタファーもきいている芭蕉初期の俳句は、とても興味深いです。
(写真 「蓑虫庵」の散り紅葉)
京都北山の巨大な台杉
今月のことば 2022年11月
樹と人と代々継ぎて冬を超す
巨台杉枯れし洞に生ふる曾孫(ひこ) ふゆめ
京都の北山に、学生時代のワンゲルの仲間と巨大な台杉を見に行く機会がありました。久しぶりの北山の匂い、碧空に燃える紅葉が映えるなかで、案内人に詳しい説明を聞きながら歩きました。
杉は切っても、生命力が強く、そこからまた新しい芽を出すので、その性質を利用して台杉が育てられてきました。今では台杉は、庭木として育てられますが、もともとは木を丸ごと切り倒すのではなく、木を生かしたまま、材木を取る知恵だったようです。
長い年月にわたって削られたり、部分的に切られたりした木が、幹のあちこちから新たな子孫を縦横に伸ばしてくねりながら成長しました。今では伐採されなくなり、巨大なモンスターのような大樹になっています。
冬は雪深い山奥で、木を運ぶにも急な坂を谷川まで落とさねばなりません。都に運ぶのは大変で、さぞかし重労働だったことでしょう。木を切り出すのも不便な土地で杉を大切にしてきた人びとと、切られても切られてもめげずに命を長らえてきた杉、人と木の攻防の歴史が、瘤や洞の多い不思議なうねりの大樹のかたちを育ててきたのでしょう。
(写真 京都北山の巨大な台杉)
西行の月
今月のことば 2022年10月
西行の月をかさねて透かしけり
十六夜や余白をみたす水の音
ふゆめ
今年の秋は、天気の良い日が多く、とりわけ月が澄んで見えました。西行の月の句を口づさみながら、毎日いろいろな月を楽しみました。
行くへなく月に心のすみすみて
果てはいかにかならんとすらん
ともすれば月がすむ空にあくがるる
心のはてを知るよしもがな
(西行)
白州正子さんの「西行」によると、西行は23歳で出家したあと、しばらく嵯峨に草庵をむすびました。その地に彼をひきつけたのは、ただ景色が美しく静かだというだけではなく、彼がひそかに思慕していた待賢門院が晩年を送られた法金剛院があるからではないかということです。
それを読んで、たまらなく行ってみたくなりました。しかし、参拝できるのはひと月に1回15日だけ、その日を逃さず双ケ丘のふもと花園にある法金剛院を訪ねてみました。
想像していたよりも小さな寺でしたが、周囲の喧噪がうそのよう、確かに静かでした。花の時期を終えて、池いっぱいに広がった大きな蓮の葉が印象的でした。
帰りは、近くの双が丘に登ってみました。古い古墳があり、倒れた大木のまわりを秋の蝶が何度も巡っていました。
近くの仁和寺へも寄ってみました。ここも待賢門院につかえていた堀河の局が尼になって住んでいたので、西行が足繁く通ったとのことです。
京都に住んでいても、行ったことがないところはいっぱいあり、行ったことがあるところでも、ゆかりの風景を重ねてみると格別です。小さな旅をした気分になりました。
(写真 法金剛院の蓮池)
鳥のごときもの
今月のことば 2022年9月
空澄みて高みを鳥の如きもの
宙づりの色鳥時のあはひ飛ぶ
(ふゆめ)
9月になっても残暑が厳しく、35度を超す真夏のような日がつづいています。
それでもようやく、青く澄んだ空や、さざ波のように広がる鱗雲に秋の気配が感じられるようになりました。
秋の季語には「鱗雲」のほかに、「鯖雲」や「鰯雲」もあります。秋の雲は、海を行く魚の群れのように見えるのでしょうか?あるいは漁師さんが漁の目印にしたのでしょうか?「鯨雲」や「烏賊雲」など、雲をいろいろに見立てながら、空を眺めて楽しんでいます。
道元は「正法眼蔵」で、「水澄んで底に徹(とお)って、魚の行くこと遅し。空広くして崖(かぎり)なし、鳥の飛ぶこと杳々なり」という禅先師の詩の後半のことばを「魚行(ゆ)いて魚に似たり」「鳥飛んで鳥の如し」と変えました。
私たちは、現実に「魚」や「鳥」を見ているつもりです。でも、それは「魚に似たもの」「鳥の如しもの」、つまりメタファーでしか存在しえないのかもしれません。
あるいは「魚」や「鳥」が実在していると思っていることのほうが思い込みで、荘子の胡蝶の夢のように虚と実は反転するのかもしれません。
青空をゆうゆうと行く魚や鳥を見ながら、道元のことばをかみしめています。
(写真 玄界灘の海の中道と空)
送り火と空の饗宴
今月のことば 2022年8月
送り火や嵐を鎮めあかあかと
あかときや天空あそび秋探す
(ふゆめ)
今年の五山送り火は3年ぶりに開催されました。それまで晴れていた空、点火の30分前に、突然に雷光がまばゆく全天をおおい、八方が金色に輝き、地を揺るがすような爆音が響きました、そして、もの凄い強風と豪雨が襲ってきました。
保存会の方々が懸命に準備してくださった送り火ですが、開催できるかどうか危ぶまれました。
しかし、不思議なことに、20時になったとき、強烈な嵐がぴたりと鎮まりました。
山にあかあかと「大文字」の炎がともりました。そして、次は「妙法」つぎつぎと山にこだまするように点火されていきました。
まるで天空と人の世界が一体となった奇跡のドラマを見ているようで、感動的でした。
五山の送り火が、ふしぎな天空のエポックのように終わったあとは、また豪雨になり、夜通し降り続きました。
(写真 比叡山の朝やけ)
恐竜の骨
今月のことば 2022年7月
炎天や白きトルソー息絶ゆる
夏の蝶古代記憶の石舞台
(ふゆめ)
かつて骨董品にこっていたことがありました。高価な名品でなくても、時代を経て古びたものたちは愛おしいです。ヨーロッパの机をまねて日本の大工さんがつくった畳用のライティング・ビューロー、黒と赤の漆塗りの本棚など、少し変わった一品物も、すべて現役で使いつづけています。黒い漆で中は銅張りの座敷用オマルまでありますが、それはトイレの物入れにしています。
数年前から突然趣味が変わって、今度は化石や鉱物に夢中になりました。装飾品などに加工すれば別ですが、これらは、どんなに工夫しても使うことはできず、ただ眺めて楽しむだけの自己満足の品々です。そのかわりに、人間の歴史など、簡単にふっとんでしまうほど大きな数億年単位の時空間で夢を見ることになりました。
最近手に入れたのは、赤くメノウ化した恐竜の骨です。アメリカ、ユタ州で発掘された、ジュラ紀約1億5千万年前のものです。生体組織に赤や黄色の鉱物が入り結晶化して、生きた構造を残したまま、宝石のように美しくなりました。
地球の変動に加えて、さまざまな偶然がむすびついてつくられた奇跡の造形です。地球の営みからみると、人間の力なんて、なんと小さなものかと思わされます。
(写真 恐竜の骨の化石)
実のなる木
今月のことば 2022年6月
さくらんぼ窓はきらきら雨あがり
鳥すだく色づき待てぬ桜桃
(ふゆめ)
私は実のなる木が大好き。木に花が咲き,小さい青い実がなり、だんだん熟していくプロセスを眺めていると、それだけで仕合わせです。
幼いとき、庭の真ん中にあった桜の木、花が終わってさくらんぼがなるのが待ち遠しくて、早く食べたいなと、毎日眺めていました。青虫を退治していた祖母の記憶とともに、甘酸っぱく思い出します。
今もルーフバルコニーに、実のなる木をたくさん植えています。さくらんぼ、梅、ジューンベリー、グミ、ゆすら梅、桑、山椒、すだち、金柑、葡萄、山葡萄など。いちじくもありましたが、鉢では限界になったので、夫が借りている畑と、息子の家にお嫁に出しました。
さくらんぼは、熟さなくても甘くて美味しいのか、赤くなる前に鳥との争奪戦になります。早朝から何度も根気よく偵察にやってくる鳥にはかないません。
びっくりグミは、植えて18年たちますが、今まで実をつけませんでした。今年は、はじめて、大きい甘い実がたくさん鈴なりになりました。まさに、びっくりグミでした!
(写真 初収穫のびっくりグミ)
薫風にひたる
今月のことば 2022年5月
新緑や白雲真中(しらくもまなか)穴ひらき
鯉のぼり逆さに泳ぐ虚空かな
(ふゆめ)
今年の連休はお天気に恵まれて、新緑のなか、心地よい薫風にひたる日々をすごしました。
勢いよく伸びて日々変化する濃淡の緑の木々を眺めているだけでも仕合わせな気分になります。
以前からやってみたいと思っていた燻製つくりもはじめました。大きい香炉に固形燃料を置き、塩と香辛料で調理した鳥の胸肉をアルミ容器にのせ、全体をアルミで被い、桜や松などの枯木をいぶして香りをつけます。キットなど使わずすべて自己流の手作りですが、それなりに美味しく仕上がりました。
若葉を摘んで冷凍しておいた蓬や、桜の花の塩漬けを入れた手作りパンもつくっています。お客さんに出せる仕上がりにはなりませんが、自分で食べるぶんには不揃いでも、楽しいです。
本格的なピザも焼いてみたいと、ピザ窯を買うことも検討しました。しかし、火起こしが面倒になって長続きしないだろうと、先が想像できたので、あきらめました。
あまりお金も器具も使わず、自然のなかで身近なもので工夫して生活を楽しむことがいちばんのようです。
(写真 京都深泥が池の杜若)
さくら三昧
今月のことば 2022年4月
しだれたる花のいのちのしたたかに
花吹雪目かくし鬼のかくれんぼ
(ふゆめ)
さくら、さくら、さくさくさくら!
西行法師ならずとも、さくらが咲くと無条件にうれしくなります。
今年は、コロナの外出制限も解除され、お天気にも恵まれて桜日和がつづきました。
京都の桜は種類も多く、御所見返り桜や御衣黄など優雅な桜もあります。私は大島桜の初々しい若葉と清楚な白花が好きです。
今年は、京都御所、二条城、丸山公園、植物園、鴨川、高野川、吉野山など、いろいろな所で、つぼみから桜吹雪まで、日々の変化を楽しみ、桜を満喫しました。
今までは人ごみを敬遠していた丸山公園の夜桜も見に行きました。篝火の下で、迫ってくる巨樹の枝垂れ桜に圧倒されました。鶏皮ギョ-ザという初体験のB級グルメをほおばりながら、しげしげ見あげると、染井吉野も違って見え、ぼんぼりのような丸い小束が揺れていました。
植物園の夜桜は圧巻の王朝絵巻でした。枝垂れをはじめ、さまざまな品種の桜がピンクや白や濃淡入り乱れて 夜空に浮かび、池に映る様子は幻想的で、うっとりしました。小道を歩きながら、現実の風景ではなく、まるでプロジェクション・マッピングのなかを動いているかのような錯覚にとらわれました。
さらに吉野山にも出かけました。下千本から奥千本まで歩き、青い山々と山桜の織りなす風景を楽しみました。西行庵の近くの苔清水は、今もとくとくと流れていました。
とくとくと落つるも岩間の苔清水汲みほすまでもなきすみかかな(西行)露をとくとく試みに浮世すすがばや(芭蕉)
桜三昧の締めは、八重桜です。つぼみを摘み桜茶をつくりました。
(写真 京都植物園の夜桜)
切り株に魅せられて
今月のことば 2022年3月
耳奥に血の巡る音山笑ふ
ほころびてはみだす布袋山笑ふ (ふゆめ)
今年は春の訪れが遅く、3月になっても雪が降りました。梅のつぼみのふくらみを今か今かと眺める、待ち遠しい日々がつづきました。中旬になって、ようやく一気に開花、春らしいあたたかさになりました。
このごろは鉱物や化石から、木々に関心が移ってきました。お風呂に浮かべる丸太やキューブの秋田ひばや檜の香りをかいでいるうちに、どんどん興味が広がりました。
香炉を使って、白檀や緑檀の甘い香りに酔いしれ、近くの山の松や檜や伊吹の葉、お茶の葉など、ろうそくの炎でいろいろな香りをくゆらせます。30年以上前に骨董屋さんに勧められて買って使っていなかった香炉が役に立ちました。
興味は、さらに移ろって、香木から生木の爽やかな香りへ。きわめつきは、崖伯木(ガイハイボク)です。中国とチベットの境界、人が近寄ることも難しい断崖絶壁に生えるひのきの一種です。風や乾燥をしのぐために木の内に樹脂を蓄えて過酷な環境に生きてきた木のいのちのエキスのような清新な香りは何ともいえません。
崖伯木の樹皮は風化して白く枯れたようになり、枝は複雑にくねり、木の中身は赤くなまめかしく、その姿も美しいです。崖伯木の切り株と枝そのもののかたちを生かした観音像を購入してから、さらに木の感触や年輪へと興味がうつりました。
槐(えんじゅ)、貝塚いぶき、桜、いちょう、北山杉、キンモクセイ、エゴノキなど、それぞれ異なる木をなでて感触を楽しみ、複雑な色合いの年輪を愛でています。
近くの川に散歩に出かけ、流木をかかえて拾ってきました。流木の切り株、根や幹のたくましい自然の造形や、風雨に浸食されて枯れた味が魅力的です。バルコニーにドンと置いた巨大な流木を花器にして、苔や花々を植えて眺めています。
切り株のもつ年輪や瘤や空洞や歪みや虫食いなど、それらすべてが愛おしい、唯一無二の生きた証ですね。
(写真 流木に植えた苔と梅)
おうちで森林浴
2022年2月 今月のことば
すれちがひ振り返る香や水仙花
春寒し能管の声裂けゆきて (ふゆめ)
立春はすぎてもまだ寒い日がつづきます。温泉にでも行きたいところですが、新型ウィルスの変異株が猛威をふるいどこにも出かけられません。
そこで「おうちで森林浴」をはじめました。杉や松などさまざまな葉の手作り入浴剤を試した結果、今は秋田ヒバやヒノキなど木の香りにはまっています。アロマオイルや香水などの濃い香りではなく、自然の木の爽やかな香りが何ともいえません。
特に秋田ヒバは、冬の寒さが厳しい山で育ち成長が遅く、ヒノキチオールという芳香物質を蓄え、防腐、防虫効果もあるとのことです。
生の木を削ったものは寝室に置いて、お風呂には白木のキューブを湯にうかべています。ヒバとヒノキの微妙な香りの違いもかぎ分けるようになりました。ついには、キューブではあきたらなくなって、秋田ヒバの木の皮がついたままの小さな丸太をネットで買ってお風呂場へ。朝湯に浮かべると、爽快な気分、まさに「おうちで森林浴」です。
やがて、道を歩いていても葉の匂いを嗅いでみるようになり、自然の香り全体に敏感になりました。鉢植えも、コニファーやユーカリなど葉の匂いに魅かれて買うようになりました。花が少ない今の時期は、水仙の香りに癒やされています。
何かをはじめると、しばらくのめりこんで夢中になってしまうのが、私の性でしょうか。
さらに今は、香道で使われる「白檀」の香りに魅惑されています。同じ「白檀」でも産地や形状によって匂いが微妙に違うので、いろいろ試してみたくなります。香りの世界もはまると奥が深いので、深入りするとやばいかもしれませんね。
(写真 爽やかな葉の匂い コニファーの鉢植え)
あらたまの比叡山
今月のことば 2022年1月
はつそらや平安京の鐘ひびく
あらたまの比叡しづもり雪のふる(ふゆめ)
今年の京都は雪の年越しでした。風が冷たく底冷えのなか、雪がしんしんと降る年末で、外出はしたくない気候でした。しかし、大晦日の夜、思い切ってベランダの外へ出て除夜の鐘に耳をすましました。
雪がちらちら頬にかかりながら、少し待っていると、どこからともなく「グオーオーン」と低くて深い余韻のある響きが聞こえました。そして少し高い「クオーン」というかすかな音があとにつづきました。やがて幾重もの少し音色の違う鐘の音が、さざ波のように重なりあいながら、低く高く深く長く響きあっていきました。
かつて平安京では、御所を中心に東西南北を、青龍・白虎・朱雀・玄武の神が司っていました。各方角の寺の鐘は調音が少しずつ違うようにつくられていて、鐘の音が交響曲のように響いていたということです。今は町の喧噪のなかで、鐘の音も消されてしまいますが、それでも大晦日には、同時に鳴らされる鐘の長短さまざまな響きの余韻を味わうことができます。
初明かりのなかで眺めた比叡山は雪にかすみながらも堂々とそびえていました。あらたまの比叡山を仰ぎ見ると、天空からしんしんと降りそそぐ雪がすべてを洗いながして清らかにしていくようでした。そして凍えそうにはりつめた空気に身がひきしまるようでした。
(写真 ルーフバルコニーから見た雪の比叡山)
苔のミニガーデン
今月のことば 2021年12月
短日や天地(あまつち)あいだの球(たま)歪み
冬苔の碧に在りし空(から)器(うつわ) (ふゆめ)
今年もあと少しで終わりです。今年はコロナ禍で、なんだか不完全燃焼です。寒くなったので、さらに外に出るがおっくうになりました。
そこで「このまま年を越すのはいや、何か新しいことを始めてみよう!」と思いました。
ちょうど植物園で苔のミニガーデンやテラリウムの展覧会があり、さまざまな種類の苔の寄せ植えを見ました。寺院にあるような苔庭をつくるのは、ハードルが高いけれど。これなら手軽につくれそうです。
山歩きや散歩のときに、注意深く見ると、山肌や石垣や木の古株など、いろいろな所にさまざまな種類の苔が生えているのが、簡単に見つかりました。
それらを河原や山で拾った石や流木や、自然のなかにあるように小さなシダ類などと組み合わせて、ガラスの器や鉢皿を使ってミニガーデンをつくりました。やがてテラリウムではあきたらなくなって、ついに今ではベランダの一部を苔庭に改庭しています。
夏の暑さには弱い苔たちも、冬には生き生きと緑に輝くようです。木々の葉が落ちて花が少なくなる季節、苔庭は楽しいです。水滴を含んだ緑や若緑色の苔が光をあびたときは、とても美しくて感動的です。
苔を美しいと愛でるのは日本文化の神髄でもありますが、南方楠正が晩年に苔や地衣類の研究に没頭したように、湿潤な土壌の日本には多種多様な苔が生えています。 ミクロの世界では、どんなことが起こっているのか観察するのも楽しいです。苔を通して、身近な世界の生態系の不思議にも目覚めつつあります。
( 写真 苔のミニガーデン)
秋の青空のコラージュ
今月のことば 2021年11月
ツギツギと青碧蒼(あおあおあお)や天高し
秋深し天を見上げて天に問ふ (ふゆめ)
ようやく非常事態宣言が解除されました。「ソレー今だ!」と久しぶりに野山に出ました。
ひとつは、京都北山から鯖街道を抜けて若狭の小浜へ行く車の旅です。京都北山は、大学時代にワンゲルで夫と出会った思い出の山、二人の仲人のような山です。当時のワンゲルは、山派と里派に分かれていて、高いアルプスの難関ピークをめざす山派が主流でした。そのなかで北山は、里派の代表的な山、歴史ある廃村や古びた里山の峠をいくつも越える山行は、地味でしたが味わいがありました。
かつて日本海の小浜から入って、丹波山地の藪道をこぎ、いくつも峠を越えて、京大演習林から京都の広河原へ抜ける道を1週間かけて縦走しました。今、鯖街道の終点の出町柳近くに住んでいるのは不思議な縁です。
この旅は、ちょっとした感傷に浸る旅になるかと想いました。しかし、空はあっけらかんと抜ける青空、北山はあっという間にすり抜け、古い街並みの残る朽木に着きました。小浜では、奈良のお水取りの水を若狭から送る鵜の瀬や若狭姫神社や、鯖街道の起点などを巡りました。
翌朝もお天気に恵まれ風もなく、真っ青な日本海に浮かぶ島々を眺め、青い空気を深く深呼吸しました。
もうひとつ、かつてのワンゲルの仲間たちと鈴鹿の山にキャンプに出かけました。赤や黄に色づきはじめた木々のあいだ、朝明渓谷の透き通る清流のほとりでテントを張りました。仲間が丹精こめて育てた自家製の野菜で、ほくほくの芋煮鍋を食べ、あたたかい薪の炎を囲みました。
翌朝は、澄みきった快晴、本当に雲ひとつない真っ青な空がどこまでもつづいていました。根の平峠から水晶岳に登り、中峠を越えて歩きました。「いつまで山に登れるだろう?」と、昨晩語りあっていたのがウソのように、みんな笑顔でした。
京の散歩路
今月のことば 2021年10月
夕暮れの空気むらさき桔梗いろ
鬼灯(ほほづき)のほのかに消へゆく闇のなか(ふゆめ )
秋らしい青空、空気も爽やか。どこを歩いても楽しい季節になりました。
京都は山も野も川も路地も多くて、散歩路には不自由しません。おきまりの散歩路の一つは、高野川を下り、美しい澄んだ川のきらめきや鳥たちを眺めながら、買い物を兼ねて出町柳の商店街に行く路です。ときおり下鴨神社を経由し、春はしだれ桜、秋は銀杏の黄色がみごとな御苑まで足をのばすこともあります。
二つめは、高野川を上がって、比叡山を眺めながら河原で石をひろって遊び、細い路地を通って、宝ヶ池まで行きます。深い緑の木々を映す池を一周して帰ります。
三つめは、疎水の路を通って、四季折々の花々が咲く植物園まで行く路です。銀閣寺あたりの疎水と違って、観光客もいない静かな並木路がつづきます。
その他、銀閣寺から大文字山に登る路や、詩仙堂、曼殊院から修学院離宮へつづく路など、おなじみの風情ある散歩路が多くあります。
先日は、久しぶりに散歩コースを変えてみました。白川の疎水を通って、京大のグラウンド裏から銀閣寺、そして神楽岡から吉田山に登り、吉田神社へ降りる路です。
大文字山を大きく正面に眺めながら、古い民家が並ぶひっそりした石畳を歩きます。以前はよく歩いた路なので、なつかしい香りがします。知る人ぞ知る店に寄って、美味しい渋皮モンブランと栗餅をおやつに買って、うっそうと繁った木々、木の切り株に生えた苔や、さまざまな色合いの茸を愛でながら歩きました。
(写真 白川近くの疎水の古樹と茸)
詩の共同生成
今月のことば 2021年9月
私が代表をしている「ナラティヴと質的研究会」メーリングリストで、ひとつの投稿をきっかけに、自然発生的に詩のやりとりがつづきました。ことばがイメージを呼び、イメージがことばを生み、ボールがはずむような楽しい「詩の共同生成」が行われました。その一端を紹介します。
「伝えるってなーに?」
伝えるって、なんなの?/わかってほしいから何回も伝えたの/でも、ちゃんと全部わかってもらえないの/それは、失敗なの?/だって、伝えるって、ちゃんと全部わかってもらうためのものじゃないの? /言葉って不思議だな/言葉が気持ちをファジーでクレイジーにさせてくれるからかな(小松藍生)
「ことば」
ことばはガラス/ ときどき光る/ 見えるけど/ 窓の向こうに行けない/ことばはファジー/ 雨でくもる/ことばはクレージー/ 雨が虹に変わる/ 行けなくてもいいのかな?(ふゆめ)
「わたし」
ことばは窓ガラスに映った「わたし」/ 慎重に伝えようとするほど そうっと吹きかけたことばは/「わたし」を曇らせてしまう/届かなかったことばは/ 今日もどこかで誰かのもとに猫のように駆けていき/ ヘビのようにアメーバのように/うねうねとかたちを変えて生きていく/「わたし」はそこに行けなくても/ 誰かのどこかの風景を彩っている(土元哲平)
「ガラスの記憶」
割れたガラスの破片は/鋭利で、にぶく、光っている/そんなガラスへんをかき集めて/少しずつ、ことばにしてみる/わたしの深いところの記憶を/ことばにしてみる/だれにもわからないかもしれないけど/ことばにしてみる/すこしだけ、やわらかく、かがやく (よこむつみ)
(写真 部屋の鏡に映る窓ガラス
ベランダで収穫したほおずきとトウガラシ)
水のなかの金魚
今月のことば 2021年8月
ねむり得ず金魚の赤がひるがへる (健司)
宙づりの身体をさらす金魚鉢(ふゆめ)
私の俳句の師である大森健司さんの句集『あるべきものが・・・』 をはじめて読みました。句集全体からたちあがってくる「感性」が、身体感覚を通して、一見日常的にみえる平明なことばを通して、そのまますっとまっすぐにひびいて伝わってきました。
ちょうど私も金魚の句をつくったばかりでした。暦の上では秋になっても、水のなかの「ふるへるたましひ」みたいな金魚の幻影がひらひら泳ぎつつけています。
句集の「感性」については、ことばではうまく表現できませんし、誤解があったら申し訳ありませんが、「この世界に自分はほんとうには入っていない」というような感覚です。淋しいとか、孤独とか、不安とか、そういう感情とは違います。多くのひとと簡単には通じ合えない「ふるえるたましひ」みたいな身体です。
何かすきとおったガラスの窓を通してこの世とかかわっているような感じ、正面からぶつかって赤い血を流すのではなく、ガラス越しに見えない繊細な傷がこまかくつく身を守っているみたいな身体感覚、水槽のなかにいて、そこへ天空から降ってくる「透明な虹」、それがひとりだけにはっと見えて句になるみたいな感じでしょうか。
水槽の魚しづかなり冬の虹
飛魚に手つかずの空ありにけり (健司)
これらの句にかつて私の著書『私をつつむ母なるもの』に引用した「水のなかの子」のイメージをかさねてみました。
水のなかの息子は切れの深い卵型の眼を大きく見開いて、静かな感嘆をあらわし、鼻や口許からひとつずつ立ちのぼるのが見えるほど、穏やかに穏やかに身動きしている。それはもしかしたらこのような態度こそが、水のなかで人間のとるべき自然なかたちではないかと反省されたりもするほどあった。 (大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』)
(写真 駿河湾の深海に住むヤドカリ)
揚羽蝶の巣立ち
今月のことば 2021年7月
揚羽蝶小さきサナギ夢の跡
蛹(さなぎ)脱ぎむきたての宙(そら)揚羽蝶 (ふゆめ)
丹精こめて育てた揚羽蝶の幼虫が、とうとうサナギの殻を破って、巣立ちました。蝶になったあとも、羽を広げたまましばらくじっとしていましたが、梅雨のあいまの空に大きく羽ばたいていきました。
あとに2センチ足らずの細い小さなサナギが残されました。そのなかで何が行われていたのか、どのようにして大きな揚羽に変身したのか、見守っていてもわからず、とても不思議です。胡麻のような小さな虫から、青虫になり、そして蛹になり、蝶に変身したプロセスを目の当たりにしたのは、はじめてで感無量でした。
それにしても、虫たちの食欲はすごいものでした。新しい山椒の枝を切ってやると、あっというまに葉を食べつくすので、朝と夕方では足りず、1日に何度もおかわりが必要になりました。12匹ほどの虫を育てるのに必要な山椒の枝は予想外に必要で、やれやれ、山椒の木は大丈夫かしらと心配になるほどでした。
カゴで育てた虫は、3匹が蝶になって巣立ち、まだ3匹ほどがサナギで巣立ちを待っています。そのほかに、5匹ほどの幼虫を自然の状態で観察していました。元気に動きまわり、山椒の枝の先端までもりもり葉を食べ、もうすぐ青虫になろうというとき、2時間ほど目を離したすきに、離れた枝のあちこちにいた虫が突然一匹もいなくなってしまいました。小鳥に食べられたのでしょうか。自然界もなかなか厳しいものです。
最初の蝶が飛び立って1日ほどしたとき、一匹の揚羽蝶がルーフバルコニーにやってきて、何度も何度も木々のあいだを旋回したり、花にとまったりして、長いあいだひらひら舞っていました。巣立った蝶があいさつに来てくれたような気がして、「よくきたね、どこからきたの?」と思わず話しかけていました。
写真 生まれたての揚羽蝶と脱ぎ捨てたサナギ
いのちのいとおしさ
今月のことば 2021年6月
万緑やいのち息吹く地底から
でんでんや地球のひびき聞きて舞ふ (ふゆめ)
早い梅雨入りと緊急事態宣言の延長、やれやれ、外を出歩く機会がめっきり減りました。家にいる時間が増えたといっても、原稿書きなど仕事がはかどるわけではありません。
そこで、一念発起、何か新しいことはじめてみよう!虫の飼育に挑戦です。私は虫が嫌い。いつも山椒の葉に発生して、あっというまに葉を食べつくしてしまう青虫もおぞましい害虫でしかなく、見つけしだい箸でつまんで捨てていました。
しかし、今年はちがいます。黒い粒から青くふっくら大きくなる幼虫の様子を、毎日、朝に夕に眺めています。雨があたらないようにベランダの内に入れ、暑いと日陰に移して世話していると、以前はにくらしかった青虫が、とてもかわいく、いとおしくなってきました。
まだ怖くて触ることはできませんが、「たくさん食べて、大きくなってね」と話しかけながら、山椒を大判振る舞いしています。
同じ虫でも、こんなに違う感情がわいてくるのかと、我ながらふしぎです。ネットで調べると、この青虫はアゲハチョウの幼虫のようです。蝶になるまで元気に育ってほしいと願っています。
子どもたちが小さかったころは、仕事も家事も忙しくて、一緒に虫をのんびり眺めている暇はありませんでした。昔、やりたくてもできなかったことを、今、ひとりで「ごめんね」と言いながら、とりもどしているのかもしれません。
(写真 ベランダで毎年花ひらくスカシユリ)
緑の小さな楽園
今月のことば 2021年5月
宙(そら)透かす青葉若葉の無重力
海月(くらげ)浮く新緑の海蜃気楼 (ふゆめ)
変異株が猛威をふるうコロナ禍の第4波がやってきて、またまた緊急事態宣言が出されました。
青葉若葉が美しい季節なのに、「久しぶりに山でキャンプしたいね」と計画していた山行きなど、いろいろな計画が中止になってしまいました。藤や薔薇が見ごろを迎えたはずの植物園さえ閉じられて、ため息が出てきます。
しかたないので、晴れた日は、我が家のルーフバルコニーのイスに坐って、フランスパンやアップルパイとコーヒー、果物とヨーグルト、ランチをゆっくり食べながら、緑たちを慈しむように、眺めています。
楓は、赤い若芽が若緑に変わり、日差しに照りながら濃淡の緑が木陰をつくるほどになりました。柏は、芽吹きからあっという間に大きくなり、人の手ほどの葉をたくさん茂らせています。
楓の木は、自然生えの小さな芽から長年かかって育て、柏の木は、知り合いの編集者の方が実生から芽吹かせた苗をいただき、今では見上げるほどに育ったもの、どの木にも思い入れがあります。今年の春先には、鉢植えで狭くて限界になっていたイチジクを息子宅へお嫁に出したのですが、無事に庭に根づいたようです。
私は実のなる木が好き。梅や桜やジュンベリーや山桜桃や桑や姫林檎や金柑など、つぎつぎに花が咲き、実を色づかせてくれます。サクランボもたわわに実りましたが、赤く美味しくなる前に、夜明けから暗くなるまで、連日やってくる鳥たちにすべて食べられてしまいました。
植物も鳥も蝶も虫も、さまざまな生きものたちが、ここに集います。小さいけれど、ここも緑の楽園かもしれません。
(写真 我が家のサクランボ)
摘草のよろこび
今月のことば 2021年4月
摘草や身体めざめて虫になり
よもぎ摘みたましひ染まる緑いろ(ふゆめ)
「おい、わらびが出ていたぞ!」はずんだ夫の声が聞こえてきました。山歩きが好きな私たち、春の訪れとともに、摘草のシーズンを迎えます。美味しい旬の時期は数日ということもあるデリケートな移ろいの季節の到来です。
つくし、ふきのとうにはじまり、たらの芽、こごみ、ノビル、こしあぶら、わらび、ぜんまい、山うどなど。いつ、どこで、何が芽生えるか、長年蓄えたお互いの記憶マップに照らしながら山野を歩きますが、暖かい今年はとりわけ芽が出るのが早いようです。
近くの河原で摘んだ草や木の芽も、美味しいごちそうになります。ギシギシやイタドリの芽は酢の物、セリは胡麻和え、ノビルは味噌和え、つくしは卵とじ。よもぎ、アケビ、山葡萄、ユキノシタ、ドクダミ、クワ、モミジの若葉などは天ぷら。そして山椒の香るタケノコ飯と桜茶。
この季節、身も心も若葉を食んで青虫のように緑いろに染まりたがっているかのようです。そして、1年分のいのちのエキスを身体いっぱい吸いこむのです。
(写真 京都北山のミツバツツジ)
かさねの色目
今月のことば 2021年3月
耳のなか透き通りゆき風光る
かぜ光るかさねの色目紅ほのか (ふゆめ)
春の光がまぶしくなりました。ルーフバルコニーの早咲きの白桜も、梅といれかわるように咲きはじめました。木々の枝先で身を堅くしていた冬芽も少しほころんで、芽出しの準備をはじめました。これから、木々の芽吹きや花々の開花が次々につづき、楽しい季節がやってきます。
急逝した染織家、吉岡幸雄さんの仕事と蒐集を回顧する展覧会を、先日細見美術館に見にいきました。平安朝を彩った「かさねの色目」の織物のグラディエーションが奏でる色合いの妙をじかに味わうことができました。
桜だけでも、「樺桜」「紅桜」「白桜」「松桜」「花桜」「薄花桜」「桜萌黄」「薄桜萌黄」「桜重」「葉桜」「薄桜」とさまざまな「かさね」。春の色合いの移り変わりを楽しむ、この繊細な色あわせの伝統文化が今も生きている京都に住んでいることのよろこびを感じました。
かつて女子短大に就職したばかりのころ、新米の女性教員に割り当てられた仕事は、来賓のお茶くみ接待やバレーボール大会の準備などで、研究とはほど遠いところに来たのだと思い知らされる日々がつづきました。
そんなころ、年配の国文学の先生が、萌黄(もえぎ)色で装丁されたご自分の随想集をくださって、「いちばん好きな色なんだ」とほほえみながらおっしゃいました。亡くなられた今も、春になるとその先生の穏やかな笑顔とともに、何色ともかさねあわせられる「萌黄」のやさしい色合いを思いだします。
(写真 うす桃いろのつぼみとふちどり白桜)
立春の鳥たち
今月のことば 2021年2月
たましひの氷れるほどに透き通る
風立ちぬたましひ残して鳥帰る (ふゆめ)
まだ寒くても、2月になると光ざしが強くなり、「立春」ということばの響きを聴くだけで楽しくなります。いつの季節も、これからやってくる季節のきざはしを感じるのは、うれしいことですが、春を待つ気持ちは、格別です。
まだ野山は枯れ木と枯れ草におおわれていますが、水仙が咲き、そして早咲きの梅が咲きだします。春が訪れてくる足音を、今か今かと待つことも楽しく、うきうきと気持ちがはずんでくるようです。
12月から1月にかけて、ライフワークにしている著作集の第4巻『質的モデル生成法-質的研究の理論と方法』、第5巻『ナラティヴ研究-語りの共同生成』が発刊されました。残りの巻も気合いを入れてすすめなければと思っています。
現役のころは、この時期、入学試験の試験監督や採点、論文の査読と口頭試問などで息つく暇がありませんでした。今は、そのような多忙さはありません。それでも、集中講義、非常勤の最終講義、2つの講演、いくつかの研究会など、それなりに忙しい日々を過ごしました。
ようやく一区切りついたところで、立春を迎えました。近くの植物園に散歩に行くと、早咲きの紅梅が咲いており、いろいろな種類の鳥たちが飛び交っていました。
我が家のルーフバルコニーにも、鳥たちがしきりにやってきます。木の実などは食べつくし、ついには、かたい葉もついばむようになっています。今はいちばん食べ物がない季節なのでしょう。今か今かと春を待っているのは、人間だけではないようです。
(写真 京都府立植物園の紅梅とジョウビタキ)
あたりまえの日ありがたし
今月のことば 2021年1月
去年(こぞ)今年あたりまえの日ありがたし
神々のあかとき遊(あし)び初日の出 (ふゆめ)
コロナ禍にあけくれ、予想もしないことがつぎつぎ起こった昨年でした。年は変わりましたが、奇跡のように世界が一変することはなく、去年今年、あたりまえのようにつづいていく日常があります。
しかし、考えてみれば、あたりまえの日があること、それ自体が有り難いのかもしれません。お正月休暇もなく、寝食もままならず、使命感で日夜奮闘してくださっている医療、介護、福祉など、さまざまな分野の人々のおかげで、かろうじて保たれている日々だと実感します。
「ありがとう」という感謝から、今年の1日を始めたいと思います。
昨年は巣ごもり生活で、海外旅行などできなくなったことも多かったのですが、新しいことにも挑戦しました。
自分でHPのサイトをつくり、趣味の鉱物や化石を紹介するブログもはじめました。昨春には、Zoom使えなくて講演も断っていましたが、今では、Zoom大好きになりました。授業も講演も研究会も学会も家にいながらできて、ドラえもんの「どこでもドア」が手に入ったかのような便利さです。
パンつくりもはじめました。このごろは、ほぼ毎朝、チーズ、きのこ、ソーセージ、タマネギ、卵、コロッケ、干ぶどうなど、さまざまな具を入れた焼きたてパンを焼いて楽しんでいます。
(写真 大文字山から昇る朝日)
裸の冬木
今月のことば 2020年12月
裸の木少女木になり木女(ひと)になり
冬木立天を突き抜けどこまでも (ふゆめ)
寒風の吹く夜でした。
少女のようなその人は突然、木の話をはじめました。
新しい所では、まず木に会います。
そうね、私も木は好き。
木と語りあいます。
そうね、私も木と語りあう。
木のなかに私が入ります。
そうすると、私は木になって生きます。
私のなかに木が入ります。
そうすると、木は私になって生きます。
それから、私は「語りあう」ということばの前で
立ち止まるようになりました。
それで、今日も裸になった冬木を眺めています。
(写真 京都植物園にて 友人の撮影)
リアルとバーチャルを超えるオパール
今月のことば 2020年11月
いくつもの宙(そら)映しをり露の玉
青あはし妖しきオパール秋ふかし (ふゆめ)
すっかりオパールの魅力にはまっています。ブログで石のことを書いているので、ここではやめようとしたのですが、やっぱりオパールの魅惑にひきこまれてしまいました。
先月の末に日本質的心理学会がZoomで開催されました。遠隔の学会ははじめて、でも移動がなく疲れず、かえって議論に集中できました。学会で「リアルとバーチャルの境界を超えて」というシンポジウムがあり、終了後も研究会で議論をつづけています。バーチャルな会のほうが、遠くでも気軽に集まることができ、とても便利です。
オパールも、リアルな岩石でありながら、光線や見る角度によって、色合いも輝きもくるくる微妙に変わってしまうバーチャルな遊色をはなつところが魅力的なのかもしれません。
以前に大阪のミネラルショーで、ひと目で惹きつけられた深い青のボルダーオパールがありました。珊瑚礁を思わせる神秘的な青でした。そのときは別のオパールに目移りしてしまいました。そのオパールも、やさしい虹色の遊色がきらきら美しくて気に入っています。
しかし、後になるほど、最初に見たインパクトのある濃い青、原石そのものをぱっくり二つに割ったようなオパールが忘れられなくなり、初恋の人のように夢にまで現れるようになりました。そして、今秋とうとう、手に入れました。バーチャルかリアルか、その境界は簡単に超えられそうです。
写真) 珊瑚礁のようなオーストラリアのボルダーオパール
天高し
今月のことば 2020年10月
天高し歳(よわひ)かさねて空あそび
天高しありえないこと何もなし (ふゆめ)
「天高し」は、とても好きな季語です。秋のすがすがしい空気のなか、青く澄んだ空がどの季節よりも高いように見えて、月も美しく輝きます。
十五夜の前夜、法然院で「鎮めの音 畏れのことば-コロナ禍を超える「うた」を求めて」という催しがありました。
パイプオルガンとカウンターテナーの澄んだ声の余韻を身にあびながら、暗闇の森に月が見え隠れする道を、知り合いの留学生と一緒に歩いて帰りました。
帰り道に彼女が言いました。「今まで誰にも話さなかったけれど、はじめて話してみたくなりました。」
「ときどき夜に鴨川に行き、川の真ん中にある亀石に仰向きに寝ます。すると、世界がまったく変わります。何時間も見ていると、世界は静まりかえり、空しか見えず、雲が行きすぎ、鳥が飛んで行きます。川の水音を聴いていると、自然に歌いたくなります。遠くまで出かけていかなくても、身近なところでも十分ですね。自分の姿勢を変え、見方を変えるだけで、世界はすっかり変わりますね。」
写真) 比叡山と秋の空
大平原の稲光
今月のことば 2020年9月
いなびかり子が子を胎むつぎつぎと
真夜中に稲妻走る万華鏡 (ふゆめ)
稲妻は、秋の季語です。9月は米が実りを迎える季節、稲妻は日照りの夏の終わりに雷雨をもたらせてくれる大切な天の恵みであったに違いありません。
雷は「いかづち」と呼ばれ、神のような霊力をもつ畏れられる存在であると共に、おどけた表情の風神雷神図のように、今よりもすっと親しまれる存在でもあったでしょう。
稲妻というと、カナダの大平原、サスカツーンに住んでいたときに見た稲光の美しさを思いだします。磁場の関係でオーロラもきれいでしたが、稲妻のダイナミックな光もオーロラと競って天を駆けていきました。
大平原の遮るものが何もない天空の下、どこまでも続いていくまっすぐな地平線、そこに稲妻が走ると、花火のようにつぎつぎと火花がひろがっていきます。天から地へまっすぐに貫いていく光、世界は天と地からなり、人間などは何ものでもないと知らされるような、圧倒的な天空ショーがくりひろげられました。
(写真 ここにも華やかな火花が咲いていました。
曼珠沙華の仲間。京都府立植物園にて。)
青葡萄
今月のことば 2020年8月
待つといふことの寂けさ青葡萄 (林翔)
今日も鳥偵察に来し葡萄棚 (ふゆめ)
かつてオックスフォードにいたとき、友人が郊外の自宅に招いてくれました。厳格な菜食主義者だったので、昼食はどれも似たような味でぱさぱさして、促されてもあまり食が進みませんでした。
彼女の自慢は葡萄棚で、たわわになった青葡萄が美味しそうでした。「まだ青いから無理ね」と言われて、残念だった思い出があります。
もともと実のなる木が好きなこともあり、ルーフバルコニーに葡萄を植えています。ピンクの若葉からはじまり、育つプロセスを眺めるのは、楽しいです。ただし立派な青い実をつけてからも、ずいぶん長く待たねばなりません。イソップの「すっぱい葡萄」の話が実感としてわかります。食べ頃になると、毎日偵察していた鳥たちとの競争になりますが、彼らの根気にはたいがい負けてしまいます。
俳句では「青葡萄」は夏の季語、立秋がすぎると「葡萄」が秋の季語になります。日本文化は、何ときめ細かい季節の移り変わりのことばを育んできたのでしょう。
蝉の羽化
今月のことば 2020年7月
もがきつつ殻ぬぐ蝉のうすみどり
空蝉を脱ぎし生命のなまめかし (ふゆめ)
蝉が羽化する瞬間を見るのは、はじめて、孫たちとわくわくして見つめました。
羽化は「瞬間」どころではありませんでした。殻を割るのは早かったのですが、脱皮して、身体を抜け出していくプロセスは、とても長く、頭を逆さにして手足をけんめいに動かし、もがきつづけても、なかなか身体が出てきません。まさに「産みの苦しみ」でした。
「脱皮」は、人間が成長するときの比喩にも使いますが、簡単な作業ではないようです。
やがて美しい緑の羽が現れ、じょじょに体勢を立て直して起き上がり、木に止まりました。しばらく羽をたたんだまま、じっとしていました。動かないままでいた時間も、いつ飛び立つのだろう、本当に飛べるのかしらと思うほど、長く感じられました。
とうとう蝉が大空に向かって飛び立って行ったとき、みんなで歓声をあげて拍手をしました。幼虫時代を何年も土の中で過ごし、成虫になって空を飛べるのはわずか1週間ほどといういのち、「がんばってね!」と送り出しました。
ほとんど同時に、庭のあちこちから、羽化したばかりの蝉が何匹も何匹も空に飛び立って行きました。長梅雨のあいだの、ほんのわずかな切れ目のひととき、「今を逃すな、今こそチャンスだ」と蝉たちがいっせいに飛び立って行ったようにみえました。